「日本列島 地震2000年の歴史」

引用:「日本列島 地震2000年の歴史」(朝日新聞出版)より

今、日本は地震活動期の50年の最中にある

著者・都司嘉宣氏

東日本大地震での大津波は、1000年に一度の割合で起きる巨大地震によるものだったことから、「ミレニアム地震津波」と呼ばれています。

三陸沖で発生したものでは、869年の地震で起きた津波がミレニアム級だったことが、「日本三代実録」に書かれていた内容と東日本大震災の被害状況を比べてみて明らかになりました。


過去に発生した巨大地震ですが、これまでの調べで、

東海では1498年の地震

南海では887年と1361年、1707年

の地震がミレニアム級であったことが分かっています。

869年(貞観)の地震の18年後の887年に仁和五畿七道地震が起きており

今回(=東日本大震災の18年後前後に南海トラフ巨大地震や他地域大地震)も同じようなことが起こるのではないかとやや気がかりになっています。


--

著者・吉見俊哉氏

日本は過去、地震、津波、台風などの災害に見舞われてきました。19世紀末以降でも、1891年の濃尾地震、1896年の明治三陸津波、1923年の関東大震災、1933年の昭和三陸津波。19世紀から1930年代まではかなり頻繁に津波が来ています。

しかし、第二次世界大戦という人災によって日本全体が廃墟となった1945年から1995年の阪神淡路大震災までの50年間は福井地震(1948年)や伊勢湾台風(1959年)を除き、大きな災害はほとんどありませんでした。日本の近現代の歴史で、この50年は特異な時代だったのではないでしょうか。非常に稀にみる平和な時代であり、しかも成長の時代でした。つい最近まで、私たちはそれが当たり前だと思っていました。が、実は当たり前ではなくて、この50年間が特殊なものだったと考え直すべきだと思います。


石碑に残る先人の執念

地震に関する各地の文字記録を調査していて特に印象に残っているのは

「我が子孫に告ぐ」という文章です。これにはしばしば出くわしました。

大阪市浪速区の大正橋には、安政南海地震(1854年・安政元年)での教訓を記した石碑が立っています。地震で家が壊れ、圧死するのを恐れて船に逃れた人たちが津波の被害に逢い、350人ほどが亡くなりましたが、宝永の地震(1707年)の際にも同様に船に乗っていて亡くなった人が多数いたのです。


中略


「今度地震がきて、津波が来そうな時には船で逃げるな」と書かれた石碑の文字には今も子孫に伝えるべく毎年墨が入れられています。


中略


周期的に発生する巨大地震のミレニアム津波。その津波を防潮堤で防ぎ切ることができないことは、東日本大震災が教えてくれました。今後は1000年に一度発生する津波と、100年に一度発生する津波をそれぞれ切り分けて、二つの別のレベルで災害対策を講じる必要があります。


将来、東海地震・南海地震(=南海トラフ大地震)の発生が予想される地域はどう対応すべきか?

【歴史資料からの提言】 著者・都司嘉宣氏の提言

将来、東海地震・南海地震(=南海トラフ大地震)の発生が予想される地域はどう対応すべきか?


○100年に一度の地震津波対策

[参考とすべき地震]

南海地震(1946年)と

安政南海地震(1854年)安政東海地震(1854年)

<対策>

・高さ7~9メートルの防潮堤を建設して市街地を守る


○1000年に一度の津波対策

[参考とすべき地震]

宝永地震(1707年)

明応東海地震(1498年)

<対策>

・標高20メートル以上の後背丘陵社名んに、弱者(老人や幼児)でも容易に登れる避難経路をつくりソーラーバッテリーの照明灯を備える。

そこに、救命胴衣・ヘルメットを備えた小屋を置く。

・すべての住民が徒歩10分以内で標高15メートル以上に移動できる津波避難タワーを設置する。そこにも救命胴衣を常設する。

災害の歴史から何を学びどう向き合うか

著者・北原糸子氏、平川新氏、保立道久氏、成田龍一氏

災害の歴史から何を学びどう向き合うか


災害から読み解く日本史

東日本大震災によって、歴史学の役割が再検討されるようになりました。歴史学の災害に対する知は、災害が起きた後の復旧や復興にも向けられています。これが地震学とは異なる歴史学固有の役割だと思います。地震の周期性における文理融合とは別の形で、歴史学の役割としての救済、復旧、復興までを含めた射程があるということです。特に北原さんは

1855年・安政大地震の後の救済、あるいは

1923年・関東大震災の後の復興に着目して研究されています。


奈良の大仏と地震からの回復力

国家が最初に意識して行った事業こそ、奈良・東大寺の大仏ではないかと思います。大仏の製作は745年に始まりますが、実は、その約10年前の734年に河内大和大地震が起きています。

戦禍に隠れて「社会的記憶」の喪失

著者・外岡秀俊氏

1940年代の震災から「教訓」を得られず

「戦後の大地震」の出発点が、1946年12月21日に起きた「昭和南海地震」であることは以外に知られていない。これは1943年の鳥取、1944年の東南海、1945年の三河地震という戦時下に続く震災だった。4年連続でいずれも1000人以上の犠牲者を出したことから「戦争前後の四大地震」と言われている。


戦争の前後に大地震があったにも関わらず、戦禍に隠れて「社会的記憶」が形成されなかったことの意味は大きい。戦後日本では「震災」といえば、もっぱら1923年の「関東大震災」を指し、土木建築では「関東大震災に耐えられる」を基準にした。戦後は「日本では大地震が頻発する」という意識そのものが薄れていたといえる。


戦前と戦後の「震災」をわかつ特徴の第1は、高度成長期に急速な都市化が進み、高層ビルや高速道路、空港、港湾など、巨大な構築物が戦後の都市部に集積されたことだ。こうしたインフラ施設は、たまたま大地の「平穏期」に形成されたに過ぎず、「大地動乱の時代(石橋克彦神戸大学名誉教授」にどのような被害が出るかは予想されていなかった。第2は、交通・通信が多重化し、暮らしを支えるライフラインが、飛躍的に豊かになったことだ。上下水道が整備され、電力を潤沢に使う環境になったことや、1990年代半ばから「電子化」が急速に進むなど、戦前では考えられないほどの利便性は高まった。裏を返せば、都市を襲う大地震は、暮らしに、より深刻で長期的なダメージを与えるリスクを高めた。以前であれば、多くの犠牲者を出した代わりに、社会の「立ち直り」は早かった。同じ規模の災害でも、現代は復旧・復興までに膨大な労力とコストを要することになる。そのような時に1995年1月17日、阪神・淡路大地震が起きた。マグニチュード7・3、戦後最大級の震度7を記録した地震は、住宅が密集する神戸を直撃し、6400人を超える犠牲者を出した。全半壊した建物は25万棟に及ぶ。戦後初の活断層による都市直下型の震災である。


都市化による複合災害化

たまたま大地の「平穏期」に形成された日本高度成長

著者・外岡秀俊氏

戦前と戦後の「震災」をわかつ特徴の第1は、高度成長期に急速な都市化が進み、高層ビルや高速道路、空港、港湾など、巨大な構築物が戦後の都市部に集積されたことだ。こうしたインフラ施設は、たまたま大地の「平穏期」に形成されたに過ぎず、「大地動乱の時代(石橋克彦神戸大学名誉教授」にどのような被害が出るかは予想されていなかった。第2は、交通・通信が多重化し、暮らしを支えるライフラインが、飛躍的に豊かになったことだ。上下水道が整備され、電力を潤沢に使う環境になったことや、1990年代半ばから「電子化」が急速に進むなど、戦前では考えられないほどの利便性は高まった。裏を返せば、都市を襲う大地震は、暮らしに、より深刻で長期的なダメージを与えるリスクを高めた。以前であれば、多くの犠牲者を出した代わりに、社会の「立ち直り」は早かった。同じ規模の災害でも、現代は復旧・復興までに膨大な労力とコストを要することになる。そのような時に1995年1月17日、阪神・淡路大地震が起きた。マグニチュード7・3、戦後最大級の震度7を記録した地震は、住宅が密集する神戸を直撃し、6400人を超える犠牲者を出した。全半壊した建物は25万棟に及ぶ。戦後初の活断層による都市直下型の震災である。


・巨大な「複合被災」となった東日本大震災

2011年3月11日の東日本大震災は、すべての点で過去の記録を塗り替えた。第1の特徴は「規模」の大きさだ。マグニチュード9・0は、20世紀以降で世界4番目の規模だ。エネルギーでは阪神の1450倍になる。第2の特徴は、被害の「広域性」だ。阪神淡路大震災では、幅1キロ、長さ20キロの「地震の帯」に被害が集中した。東日本大震災においては、幅200キロ、長さ500キロの海域で地震が起きた。広域性という点では、2008年5月の「中国・四川大地震」に近い。第3は、地震だけでなく「津波」が甚大な被害をもたらした点だ。死者・行方不明者約2万人の大半は、大津波による溺死だった。家屋の全半壊は40万戸近くに及ぶ。津波が大きな被害をもたらした点では、2004年12月の「スマトラ島沖大地震」に近い。第4は、福島第一原発が全電源喪失による事故をお越し、1~3号機が炉心溶解となった点だ。


こうして東日本大震災では、「地震」「津波」「原発事故」の三つの災害が、それぞれ最悪の規模で同時に発生し、巨大な「複合被災」となった。その意味で20世紀以降でも最大級の災害だったといえる。


引用:「日本列島 地震2000年の歴史」(朝日新聞出版)より

    

日本で発生した大地震

(直近 約100年間)


年 度 地 震 マグニチュード 震源地 最大震度 被害状況

1872年 浜田地震 7.1 島根県浜田市沖 不明 死者 555人

1891年 濃尾地震 8.0 岐阜県本巣郡 6 ※1 死者 7,273人

1894年 庄内地震 7.0 山形県庄内平野北部 5 ※1 死者 726人

1896年 明治三陸地震 8.2 岩手県釜石町三陸沖 2~3 ※1 死者 21,959人

    陸羽地震 7.2 秋田県・岩手県県境 5 ※1 死者 209人

1923年 関東大震災 7.9 山梨県東部、または神奈川県西部、または相模湾 6 死者・行方不明者 10万5千人余

1925年 北但馬地震 6.8 兵庫県但馬地方北部 6 死者 428人

1927年 北丹後地震 7.3 京都府丹後半島北部 6 死者 2,912人

1930年 北伊豆地震 7.3 静岡県伊豆半島北部・函南町丹那盆地 6 死者 272人

1933年 昭和三陸地震 8.1 岩手県釜石町東方沖 5 死者・行方不明者 3,064人

1943年 鳥取地震 7.2 鳥取県気高郡豊実村 6 死者 1,083人

1944年 東南海地震 7.9 三重県熊野灘沖 6 死者・行方不明者 1,183人

1945年 三河地震 6.8 愛知県三河湾 5 死者 1,961人

※1946年 南海地震 8.0 和歌山県潮岬南方沖 5 死者・行方不明者 1,443人

※1948年 福井地震 7.1 福井県坂井郡丸岡町 6 死者 3,769人


50年経過し、日本は地震活動期へ

 日本の高度経済成長期は

地震平穏期にも重なった幸運な50年間


1983年 日本海中部地震 7.7 秋田県能代市西方沖 5 死者 104人

1993年 釧路沖地震 7.5 北海道釧路市南方沖 6 死者2名、負傷者966名

     北海道南西沖地震 7.8 北海道奥尻郡北方沖 6 死者 202人 行方不明者 28人

1994年 三陸はるか沖地震 7.6 青森県八戸市東方沖 6 死者3名、負傷者784名

1995年 阪神・淡路大震災 7.3 兵庫県淡路島北部沖 7 死者 6,434人 行方不明者 3人

1997年 鹿児島県薩摩地方 6.4 6弱 977gal(鹿児島県薩摩郡宮之城) 住家全壊 4棟 住家半壊 31棟

1998年 岩手県内陸北部 6.2 6弱   道路被害など

2000年 新島・神津島近海 6.5 6弱 233gal(東京都新島村) 住家全壊 15棟、住家半壊 20棟、住家一部破損 174棟など 

     新島・神津島近海 6.3 6弱 559gal(東京都新島村)

     三宅島近海 6.5 6弱 210gal(東京都三宅村神着)

     鳥取県西部地震   7.3 6強 1135gal(鳥取県日野町) 住家全壊 435棟 半壊 3,101棟など

2001年 芸予地震 6.7 6弱 852gal(広島県湯来町) 住家全壊 70棟 住家半壊 774棟など

2003年 宮城県沖   7.1 6弱 1571gal(宮城県石巻市牡鹿) 住家全壊 2棟 住家半壊 21棟など

     宮城県北部 6.4 6強 367gal(宮城県栗原市築館) 住宅全壊 1,276棟 住宅半壊 3,809棟など

十勝沖地震   8.0 6弱 989gal(北海道広尾郡) 住宅全壊 116棟 住宅半壊 368棟など

2004年 新潟県中越地震   6.8 7 1750gal(新潟県十日町市) 住家全壊 3,175棟 住家半壊 13,810棟など

2005年 福岡県西方沖 7.0 6弱 360gal(長崎県平戸市) 住家全壊 144棟 住家半壊 353棟など

     宮城県沖 7.2 6弱 564gal(宮城県栗原市築館) 住家全壊 1棟 住家一部破損 984棟

2007年 能登半島地震   6.9 6強 945gal(石川県富来町) 住家全壊 686棟 住家半壊 1,740棟など

     新潟県中越沖地震   6.8 6強 813gal(新潟県柏崎市) 住家全壊 1,331棟 住家半壊 5,710棟 住家一部破損 37,633棟など

2008年 岩手・宮城内陸地震   7.2 6強 4022gal(岩手県一関市) 住家全壊 30棟 住家半壊 146棟など

     地震時の観測最大加速度のギネス認定

     岩手県沿岸北部 6.8 6弱 1186gal(岩手県盛岡市玉山) 住家全壊 1棟 住家一部破損 379棟

2009年 駿河湾 6.5 6弱 545gal(静岡県静岡市) 住家半壊 6棟 住家一部破損 8,672棟

2011年 東北地方太平洋沖地震   9.0 7 2933gal(宮城県築館長) 住家全壊 121,781棟 

     住家半壊 280,962棟 住家一部破損 745,162棟など

     茨城県北部 7.7 6強 957gal(茨城県 鉾田市)  

     長野県・新潟県県境付近 6.7 6強 804gal(新潟県中魚沼郡津南) 住家全壊 72棟 住家半壊 427棟など

     静岡県東部 6.4 6強 1076gal(静岡県富士宮市) 住家半壊 103棟 住家一部破損 984棟

     茨城県北部 7.2 6強 1084gal(茨城県高萩市)  

     宮城県沖   7.2 6強 1496gal(宮城県石巻市牡鹿)  

     福島県浜通り 7.0 6弱 746gal(茨城県北茨城市)  

     福島県中通り 6.4 6弱 847gal(茨城県北茨城市)  

2013年 栃木県北部 6.3 6強 1300gal(栃木県日光市栗山)  

     淡路島付近 6.3 6弱 586gal(兵庫県洲本市五色町) 住家全壊 8棟 住家半壊 101棟 住家一部破損 8,305棟など

2014年 長野県北部 6.7 6弱 589gal(長野県北安曇郡白馬村) 住家全壊 77棟 住家半壊 137棟 住家一部破損 1,626棟など

2016年 熊本地震   7.3 7 1362gal(熊本県益城町) 住家全壊 8,668棟 住家半壊 34,718棟 住家一部破損 162,557棟など

     内浦湾 5.3 6弱 976gal(北海道茅部郡南茅部町) 住家一部破損 3棟

     鳥取県中部 6.6 6弱 1494gal(鳥取県倉吉市) 住家全壊 18棟 住家半壊 312棟 住家一部破損 15,095棟など

     茨城県北部 6.3 6弱 887gal(茨城県高萩市) 住家半壊 1棟 住家一部破損 25棟

2018年 大阪府北部 6.1 6弱 806gal(大阪府高槻市) 住家全壊 16棟 住家半壊 472棟 住家一部破損 53,751棟など

     北海道胆振東部地震   6.7 7 1796gal(北海道勇払郡追分町) 住家全壊 156棟 住家半壊 434棟 住家一部破損 4,068棟など

2019年 熊本県熊本地方 5.1 6弱 4176gal(熊本県玉名市) 住家一部破損 7棟

     胆振地方中東部 5.8 6弱 561gal(北海道勇払郡追分町) 住家一部破損 1棟

     山形県沖 6.7 6弱 653gal(山形県鶴岡市温海) 住家半壊 36棟 住家一部破損 1245棟など

2021年 福島県沖 7.3 6強 1432gal(福島県山元町) 住家全壊 69棟 住家半壊 729棟 住家一部破損 19,758棟など


引用:気象庁調べ、マグニチュード6.8以上を掲載